ロックの女王 ティナ・ターナーの博物館
ティナ・ターナー 博物館(Tina Turner Museum)は、ロックの女王と言われたティナ・ターナーのミュージック博物館です。ウエスト テネシー デルタ ヘリテージ センター(West Tennessee Delta Heritage Center)にあります。
⇒ ティナ・ターナー 博物館の場所と行き方
セクシー・ダイナマイトと呼ばれるティナ・ターナーの脚線美を強調する派手な衣装、ゴールドディスクや様々なアイテムが展示されている。
ティナ・ターナーは、半世紀以上に渡る音楽活動の中で、8つのグラミー賞をはじめ、多くの賞を受賞している。
ティナ・ターナーは、アイク・ターナーのバンド“キングス・オブ・リズム”のバックコーラスとして、シンガーのキャリアをスタートしました。その後、メインボーカルに抜擢され、アイク&ティナ・ターナーとして活動をすることになりました。アイク&ティナ・ターナーはヨーロッパやオーストラリアで火が付き、アメリカでもクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカヴァー曲「プラウド・メアリー」でブレイクしました。
アイク・ターナーと結婚し、活動を続けていましたが、アイク・ターナーはアルコールとドラッグに溺れ、ティナに暴力を振るうようになっていき、堪りかねたティナはアイクから逃げ出し、離婚の訴訟を起こすことになりユニットは解散となりました。
離婚後にソロ活動を行いましたが、なかなかヒットに恵まれませんでした。1983年にアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(Let’s Stay Together)のカバーがヒットし、アルバム『プライヴェト・ダンサー』の制作にこぎつけました。この『プライヴェト・ダンサー』が大ヒットし、第27回グラミー賞で3部門を受賞しました。この時、ティナは45歳になっており、“奇跡の復活”として注目されました。
フラッグ グローブ スクール ティナ・ターナーが通った学舎
フラッグ グローブ スクール(Flagg Grove School)は、1889年にアンナ(ティナ・ターナー)の大叔父であるベンジャミン・フラッグ(Benjamin Flagg)が寄贈した、ナットブッシュの土地に建てられました。
アンナ(ティナ・ターナー)は、1年生から8年生まで、フラッグ グローブ スクールに通っていました。
その後、フラッグ グローブ スクールは、朽ち果てた状態で放置されていましたが、2012年6月に修復され、ウエスト テネシー デルタ ヘリテージ センターに移設されました。
卒業アルバムが展示されており、アンナ(ティナ・ターナー)の“将来の夢”の項目に「エンターテイナー」と記載されています。
(資料協力:メンフィス市観光局、ミシシッピ・リバー・カントリー、Link-USA)
ティナ・ターナー 博物館の場所と行き方
Tina Turner Museum 121 Sunny Hill Cove, Brownsville, TN
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