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スタックス・アメリカンソウル博物館

ソウルミュージックの博物館

スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum

かつてのソウルミュージックの名門レーベルとして知られるスタックス・レコード社の建物が、2003年から博物館として公開されています。
館内には懐かしいソウルナンバーが流れ、ソウルミュージックの原点を展示を通して学ぶことができます。

スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum

アイク&ティナ ターナーの衣装とギター。

スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum

アル グリーン、オーティス レディング、アイク&ティナ ターナーなど、多くのタックスレコードのジャケットが並んでいます。

スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum

アイザック・ヘイズのレストアした peacock-blue 1972 Superfly Cadillac El Dorado

スタックス・アメリカンソウル博物館 STAX Museum

左から、Luther Dickinson、Amy LaVere、Kirk Whalum 、Skewby。

ソウルミュージックの名門レーベル スタックス・レコード

テネシー州 メンフィスに拠点を置いていたレコード・レーベルで1957年にサテライト・レコードとして設立。サテライト・レコードというレーベルがカリフォルニア州にあることを知り、1961年に、Stax という社名に変更。
設立当時のオーナーはジム・スチュワート(Jim Stewart)とエステル・アクストン(Estelle Axton)で、Stewartの“St”と、Axtonの“Ax”を合わせて Stax という社名にした。
Stax は、アトランティック・レコード(Atlantic Recording Corporation)と配給契約を締結する。

キーボードリストのブッカー・T・ジョーンズがレーベルに入り、インストゥルメンタル・グループのブッカー・T&ザ・MG’sを結成。スタックス・レコード専属のスタジオ・バンドとして活動することにより、スタックス・レコードの方向性が定まる。
スタックス飛躍の原動力となったのが、オーティス・レディング(Otis Redding)と、アトランティック・レコードからの預かりミュージシャンのサム&デイヴ(Sam & Dave)であった。

1967年にアトランティック・レコードがワーナーに買収される際に、アトランティックとの契約を解消する事になるが、配給契約の条項にオリジナル・マスターの所有権はアトランティック・レコードに有るという内容があり、アトランティック配給の音源の権利は手元に残らない。
しかも、オーティス・レディングは飛行機事故で亡くなっており、サム&デイヴはアトランティック・レコードの預かりなので、契約解消と同時に居なくなるという状況。
スチュワートはレーベルをガルフ・アンド・ウェスタン社へ売却する。

1970年にスチュワートと販売ディレクターのアル・ベルが、スタックスを買戻し、数年間、インディーズ・レーベルとしてレーベルを維持し、後にコロンビア/CBSと配給契約を締結する。
CBS社長のクライヴ・デイヴィスは、モータウンに対抗する為に、スタックスと契約をしたが、契約締結後にクライヴ・デイヴィスは社長の座を追われてしまう。
クライヴ・デイヴィス不在のCBSは、スタックスの起用に力が入らず、スタックスの販売促進を充分に行わないために、スタックスの売り上げは激減し、窮地に立たされる。
しかし、CBSは他のレコード会社とスタックスが契約し、CBSの競合になるのを避けるために、契約の解除には応じなかった。
1976年、スタックスは倒産してしまう。

倒産から30年後の2006年に、コンコード・ミュージック・グループがスタックス・レーベルを復活させる事を表明。
スタックスの全盛期を支えたエディ・フロイドやスティーヴ・クロッパー(M.G.’sのギタリスト)も新生スタックスに復帰。

オーティス・レディング Otis Redding

オーティス・レディング Otis Redding1941年9月9日 ジョージア州ドーソン出身。
ソウルを語るには、オーティスを抜きに語ることはできません。ビッグオーと呼ばれる大きな体格の持ち主で、その体格を活かした声量と、独特の歌唱法で聞く者を圧倒しました。
オーティスは、アメリカだけでなくヨーロッパなどでも人気があり、遠征ライブを行っています。
ライブでは、ビートルズの「Day Tripper」やローリング・ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」を独特のシャウトで観客を沸かせている。
1967年12月10日、飛行機事故で死亡。
 
オーティスは日本のシンガーにも影響を与えている。
その代表が上田正樹と忌野清志郎である。
デビュー当時の上田正樹は和製オーティスと呼ばれ、上田正樹とサウストゥサウスのライブアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』にオーティスの「お前を離さない」を収録している。
忌野清志郎は、ライブの際に「gotta(ガッタ)」を多用するが、これはオーティスの節回しを引用したものである。

サム&デイヴ Sam & Dave

サム&デイヴ Sam & Daveサミュエル・デイヴィッド・ムーアとデイヴ・プレイターのデュオ・ユニット。
サムが高音パート(テナー)、デイヴが低音パート(テナー、バリトン)を担当する。
「Hold On! I’m A Comin’」「Soul Man 」等のヒット曲がある。
活動期間は、1961年~1981年。
デイヴは1988年に交通事故で他界するが、サムはソロ・アーティストとして活動を再開する。
1992年にサム&デイヴは、ロックの殿堂入りを果たす。
サム・ムーアの、エリック・クラプトン、ブルース・スプリングスティーン等とコラボレーションを繰り広げた『オーヴァーナイト・センセーショナル』(2006年)はグラミー賞を獲得する。
忌野清志郎が若かりし頃、貧乏でコンサートに行けないので、サム&デイブが初来日した時、荷物持ちや雑用をすると言ってツアーバスに乗り込みコンサート会場にもぐりこんだエピソードがある。その後、1982年にRCサクセションとサム&デイブが共演した時に、バックステージで清志郎に挨拶されて、スターとなった清志郎に驚く。
その後も、清志郎はサム・ムーアのステージに飛び入りしたりして親交を深めていた。
フジロック’2011のステージで、サム・ムーアは「キヨシローに捧げる」と言って「ザット・ラッキー・オールド・サン (That Lucky Old Sun)」を歌った。

アルバート・キング Albert King

アルバート・キング Albert Kingミシシッピ州インディアノーラ出身のブルースシンガー&ギタリスト。
B.B.キング、フレディー・キングとアルバート・キングは、ブルース・ギター3大キングと言われている。
チョーキングを多用したプレイはエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスに影響を与えた。
1950年頃から音楽活動をしていたが、大きな成果を得る事はなかったが、1966年に転機が訪れる。
スタックス・レコードと契約し、ブッカー・T&ザ・MG’sがサポートすることにより、ファンキーでソウルフルに変貌し「Crosscut Saw」や「Born Under A Bad Sign」がヒットする。
「Born Under A Bad Sign」は、イギリスのクリームがカヴァーし更に広まる。
イギリスのハードロックバンド、ホワイトスネイクのヒット曲「Fool for Your Loving」の歌い出しの「I was Born Under A Bad Sign」の歌詞は「Born Under A Bad Sign」の引用である。
1990年、アイルランド出身のブルースロッカーのゲイリー ムーアのアルバム『Still Got the Blues』にゲスト出演したり、1991年の自身のアルバム『Red House』にジョー・ウォルシュを迎え、ロックっぽいアプローチも見せる。
1992年12月21日にメンフィスで心臓発作のため急逝。
2013年、ロックの殿堂入りを果たす。

ブッカー・T&ザ・MG’s Booker T. & the M.G.’s

ブッカー・T&ザ・MG’s Booker T. & the M.G.’sスタックスを成功に導いたインストゥルメンタル・グループで、スタックスのスタジオ・バンド。
メンバーは、ブッカー・T・ジョーンズ(キーボード)、スティーヴ・クロッパー(ギター)、アル・ジャクソン(ドラム)、ドナルド・ダック・ダン(ベース)である。
ミュージシャンのバックだけでなく、バンドの曲「Green Onions」は、ビルボード・R&Bチャート1位、ポップ・チャート3位の大ヒットとなる。
スティーヴ・クロッパーとドナルド・ダック・ダンは、映画『ブルース・ブラザース』『ブルース・ブラザース2000』に出演。ブルース・ブラザース バンドにも参加。
1992年、ロックの殿堂入り。

 
忌野清志郎は大のオーティス レディングのファンで、ソロ・アルバムの録音メンバーにブッカー・T&ザ・MG’sとの競演を希望する。
レコーディングはテネシー州メンフィスで行われ、録音で滞在中にメンフィス名誉市民の称号が忌野清志郎に贈られた。
プロデュースはクロッパーで、アルバムタイトルはそのままズバリの『Memphis(メンフィス)』

スティーブ クロッパー Steve Cropper

スティーブ クロッパー Steve Cropperスティーヴ・クロッパーは、1941年にミズーリ州で生まれるが、一家はスティーヴが9歳の時にテネシー州メンフィスに引っ越す。
フェンダーのテレキャスターと、ピービー社のテレキャスターベースのカスタムギターを愛用。
ブッカー・T&ザ・MG’sのギタリストであるが、いろいろなミュージシャンのプロデュスをしたり、作曲もこなす。
オーティス・レディングの遺作「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」(ドック・オブ・ベイ)は、オーティスとの共作。
録音時に、今までと違うスタイルの曲調にベースのドナルド・ダック・ダンが違和感を感じるが、オーティスは「この曲は、僕の初の1位の曲になるからね」と自信満々であった。
メインのボーカルを録り終えたオーティスはツアーに出るが、飛行機の墜落事故で帰らぬ人となる。
「(Sittin’ on) The Dock of the Bay」(ドック・オブ・ベイ)は、オーティスの死後に発売され、ビルボード・チャート1位、この年の年間ランキングでは6位となる。
後に、スティーヴ・クロッパーはこの曲が未完成であったことを明かす。
ツアーに出る前に、オーティスはスティーブに「帰ってきたらコーラスを録るからね。楽しみだよ。」と言ってツアーに出たらしい。
曲を発表することになった際、スティーブは、オーティスが入れるつもりだったコーラスがどのようなものか聞いていなかったので悩む。
悩んだ末に、コーラスではなく、海鳥の鳴き声を入れたと、後に明かしている。

(資料協力:ミシシッピ・リバー・カントリーUSA,Link-USA

スタックス・アメリカンソウル博物館の場所と行き方

STAX Museum 926 E McLemore Ave Memphis, TN

メンフィス国際空港から、車で約12分。
メンフィスのダウンタウンから、3.5km程の距離だが、治安上、観光客が徒歩で行くことはお勧めしない。タクシーか観光用巡回バスを利用しよう。

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