ミュージアム オブ ポップ カルチャー
Museum of Pop Culture(ミュージアム オブ ポップ カルチャー)は、かつてEMPミュージアムという名称の音楽博物館でした。
シアトル出身の大富豪、マイクロソフト社の共同創業者ポール・アレン氏の投資により、2002年にシアトル・センターのスペース・ニードルのすぐ横にオープンした。
ギターやキーボードが、吹き抜けのフロアーにトルネード状に展示されている。
単に展示物を見るだけではなく、巨大なスクリーンに映像を映して、音もコンサートに来ているのかと思うぐらいの迫力で流しているシアターが有ったり、セッションができる設備が有ったりする。
ここに来れば、音楽を知るのではなく、音楽を感じることが出来る。
音楽関連の書籍やグッズ等がたくさん販売されている。
シアトル出身のミュージシャン
アメリカには、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ニューオリンズ等、音楽で有名な街が多いが、シアトルも欠かせなミュージック・シティーの一つ。
シアトル出身やシアトルで活躍したミュージシャンで有名なミュージシャンは数多くいるが、その中で、特に偉大なミューシャンとしてこの3人が挙げられる。
ロックギターの革命児であるジミ・ヘンドリックス、黒人音楽の総監督的存在のクインシー・ジョーンズ、そして時代の寵児であったカート・コバーンである。EMPには、ジミ・ヘンドリックスとカート・コバーンに関する展示が充実している。
ちなみに、イギリスでデビューしたジミ・ヘンドリックスのバンド名は、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスだった。
ジミ・ヘンドリックス ロックギターの革命児
ジミ・ヘンドリックスは、1942年、ワシントン州シアトルに生まれる。
1960年代、エレクトリックギターのサウンドにおいて、革新的な技術と奏法を編み出し、イギリスのミュージシャンに多大なる影響を与えた。
1970年9月18日、27歳という若さで他界。
わずか4年程の活動期間であったにも関わらず、ロックサウンドを大きく変えたミュージシャンとして、今なお多くのミュージシャンからリスペクトされている。
カート・コバーン 時代の寵児
カート・コバーンは、1990年代、グランジバンドとして注目を集めたワシントン州シアトルのニルヴァーナでボーカルとリードギターを担当。
1994年、27歳という若さで、自宅にてショットガンで自殺。
恵まれない人生を送りながらアンダーグランドで活躍していたが、デビューでいきなり売れてしまい、スーパースターとなったことから情緒不安定となる。
ニール・ヤングの曲「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞「It’s better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が遺書に引用されていた。
(資料協力:シアトル・ワシントン州観光事務所,Link-USA)
Museum of Pop Cultureの場所
Museum of Pop Culture 325 5th Ave N、Seattle, WA 206-770-2700
⇒ 大きな地図で見る